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空/折 「 flash / memories 」 (R18) 

元鞘におさまる話。

距離を置いて、時間をおいてから向き合う二人。
…ですので、苦手そうな方はご注意ください!


マイ・バースデー・ウィークなのに、もう少し明るい話を書けば?
という気がしないでもないですが……いつも見て下さっている皆さんに
感謝をこめて!



 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

flash / memories




 あと少しで一年になる。
 歩きながら、経過した時間のことを考える。
 この人とこの道を歩くのは、ほぼ一年ぶりだ。
 イワンは顔をあげた。
 斜め後ろ。
 そう、この距離だ。
 半歩、後ろ。
 それから体半分、前をゆく人の影から横にはみ出すようにして、歩く。
 街灯に照らされて、一歩ごとに明るい色味のブロンドが跳ねてみえた。
――振り向く、と思う。
 この人はもうすぐ振り向くだろう。
 振り向いて、自分を食事に誘う。もしくは、どこかで少し話さないか、と言う。
 どちらかの誘いに、自分はうなずくだろう。
 誘われもしないうちから、イワンにはもうわかっていた。
 この道沿いにある小さなレストランかバーのドアを自分たちはくぐる。
 行ったことのある店で、食べたことのあるメニューを頼むのだ。
 それから、店を出たら――
 少しだけ前をゆくキースが、振り返るのが見えた。
「……さっき」
 歩幅が小さく、ゆっくりになる。
「はい」
「きみだって、わからなかったよ」
 キースは小さな笑いを地面にこぼした。
「随分、服装がかわったから」
 そうですか、とイワンは語尾をわずかに持ち上げる。
 確かに以前ほどラフな服で出社することはなくなったが、随分というほどではないだろう。
「僕だと思わなくて挨拶してくれたんですか?」
「まさか」
 キースが立ち止まる。
 その顔の上からすぅっと笑みが薄れていく。きれいな青い眼だ。この人の真顔は案外迫力がある。
 もう誘われることはないのかな、とイワンは思った。
 さっきの自分の予想は、予想ではなくてただの願望だったのかもしれない。
 この人に、もう触れられることはないのかもしれない。
 挨拶としての握手や、激励として肩をたたくようなこと以外には。
 二人で何かする機会は、もう永遠に消滅してしまったのだろうか。
 キースの唇が動くのを待つ。
 おやすみ、か。さよなら、か。
「何か…食べて帰るかい」
「どうしようかな」
 言いながら、くすぐったい感覚を覚える。ホッとしたのだろうか。それとも、嬉しいのか。
 さほど空腹を感じているわけではなかった。
「何か、軽くだったら」
「じゃあ、どこにしようか」
 イワンは一軒の店の名を挙げた。
「あそこなら、この時間、まだ開いてましたっけ」
「ああ、そうだね」
 二人は歩き出した。
 ほんの少し、斜め後ろに位置を取って。
 店を出たら、とイワンはキースの背中を眺める。
 また自分はこの人についていくだろう。
 きっと、彼の部屋まで。



 記憶にあるテーブル、椅子、壁の絵。口に入れると味をまだ覚えていたメニュー。
 キースはタクシーの窓から流れていく景色にぼんやりと目をやりながら、さっきまで見ていたものを重ね合わせた。
 彼は酒に弱いというほどでもないのに、外で飲むといつも短い時間で帰りたそうにした。
 雰囲気に酔ってしまうみたいで、と笑って、家へ帰り着くとケロリとしているようだった。
 大勢がざわざわと出入りするバーやパブは性格的に苦手なのかもしれない。
 それともあれは、早く二人になりたがっていた頃の言い訳だろうか。
 今日も彼は流れる音楽を聴きながら、それでも落ち着かない素振りだった。
 自分といるせいだろうか。それは考えすぎだろうか。
 店を出てすぐ、キースは通りを流していたタクシーをつかまえた。
 ここからなら、キース一人であれば徒歩でも帰れる。酔い覚ましに歩くのも悪くなかった。
 イワンは音をたてて開いた後部ドアを見やり、キースに場所を譲るようにした。
「ありがとう」と言ってからキースがバックシートに座ると、イワンも隣に乗り込んできた。
 キースは自宅の住所を告げた。続けてイワンが別の住所を言うことはなかった。
 勿論、ここから近いキースの家からタクシーが回っていくのは当たり前だ。
 来るつもりがあるのか。
 来るかい、と自分は言ってみただろうか。まさか。
 運転手に教えてやるべきかと思う。でも、ひょっとして。
 キースが彼の住所を言わなければ、彼はキースの部屋に寄るつもりかもしれない。
 連れて帰って、どうしようというのだろう。イワンがほっそりとした首筋をこきり、と鳴らした。
「疲れた?」
「そう、見えますか」
「眠そうだ」
「いつも訊いてましたよね。眠いかい、って――」
 ふいにイワンは、言葉を切ってうつむいた。
 口ごもるような話題でもないはずだ。
 首をそちらに向けたキースは、唐突に訪れた沈黙の理由に気づく。
 ポケットをごぞごそと鳴らして、イワンは携帯電話を取り出していた。
 機種が新しいものに変わっている。自分の見慣れていた彼の電話ではなかった。
 以前のものより大きくなったディスプレイに目をやると、まだ着信を知らせて光を明滅させる機械を、彼は元通りポケットに収めた。
「出ないの?」
「留守電になるので」
「出ても構わないよ」
「大丈夫です」
 仕事の関係者ではないのだろう。相手が誰だか確かめた上で、通話の必要はないと判断したのだ。
「……誰?」
「え」
 イワンはきょとんとした、幼い表情を浮かべていた。
 きっと、自分も同じくらい驚いた顔をしているのではないだろうか。
 こんな時間に電話をかけてくる相手。親しくないはずがない。
 誰なのか確かめたかった。しかし、既にそんなことを言える立場にない。
 それを尋ねる権利は、もうずっと前に放棄していた。
 キースは苦い笑いをこぼして、視線を逸らす。
「すまない。何でもないよ」
 イワンからは何の返事もない。
 ひどく呆れているのだろうと思う。
 キースの家が近づいていた。自分が降りたら、彼は次にどこそこへ向かって下さい、と運転手に告げるのだろう。
 それでいい。それが正しい選択だ。
 自分一人が、ほんの少しの間、おかしな期待をしただけだ。
 タクシーが最後の角を曲がる。
 カーブにつれて後部座席の二人の体もゆっくりと斜めになる。
「……知りたいですか」
 イワンがぽつりと言う。カーブは過ぎたのに、体を傾けたまま。
「いまの電話の相手を、かい」
「誰か、知りたいですか」
 詩の一節でも朗読しているような口調だった。
 顔は前に向けたまま、イワンは眼だけをこちらに向けてきた。
 うなずいていいのか。
 もし、特別な相手だと知らされたら。
 暗がりでもほの明るいような紫の瞳。
 彼は思わせぶりな態度をとっているのか。本当に訊かれたくないことなのか。
 わからない。冷静になることができない。
 いや、右往左往していたのはキース一人だけだったのかもしれない。
「一晩、泊めてくれたら」
 上手な朗読のようにイワンがつぶやく。
「明日、考えてみてもいいです」
 タクシーが速度を落とす。
「……それは、私にばかり都合のいい話じゃないのかな」
「そう、思います?」
「違うの?」
 キースがタクシーの代金を支払う間に、イワンはするりと先に車から降りた。



 玄関のドアが閉まりきる前に、キスをしていた。
 センサーに反応して灯る小振りの照明の下、もう我慢ができないとでもいうように。
 大理石だっただろうか、この玄関の床は靴の底が滑って踏ん張りがきかない。確かキースも以前にそうこぼしていた。
 ドアの脇の壁に後頭部が当たる。足の裏が滑っていって、ずるずると体が斜めになっていく。
 唇の位置が合わなくなったイワンの両の二の腕をキースは掴むと、力をこめて引き起こしてきた。
 頭が跳ね、後頭部が壁で小さくバウンドする。
 殴られているような錯覚をイワンは覚えた。そんなはずはない。キースの両手は自分の両腕にかかっているし、殴れるほどのスペースは二人の間にない。
 でも、自分は殴られて然るべきだとイワンは思っていた。
 一晩、泊めてくれたら。
 さっきイワンがそう提案したとき、キースは自分にばかり都合がいい話だと言った。
 来てほしがっているというのか。
 こうしたがっていたのか、この人は。
 舌を絡ませながら折り重なっているのに、欲しがられているのかわからない。
 一年ほど前。
 距離をおきたがったのはイワンのほうだ。
 とある不祥事が持ち上がり、自由が売り物だった社風も変わらざるをえなかった。
 本業の金融関連でのトラブルだったが、ヒーロー事業部だけ蚊帳の外というわけにはいかなかった。
 ヒーローとはいえ例外ではない。CEOの庇護も以前ほど磐石ではなくなった。
 今まで顔も見たことのなかった人間から交友関係について口を出され、イワンは動転した。
 距離をおきたいと告げたイワンを、キースは咎めもしなければ引き留めもしなかった。
 あんなに好きだと言って、甘やかしてくれたのに。
 あっけなく手を離されたことに戸惑った。
 考えてみれば、この人はずっと躊躇っている節があった。笑いあっているときも。抱き合っているときも。
 こんなふうにしていいのだろうか、と。
 最後に抱き合ったとき。この人は、長いこと手を離せるタイミングを見計らっていたのだろうかと、イワンはそればかり考えていた。
 最後、だったからか。あの日はなぜだか延々と床の上で体を繋げていた。
 膝にも背中にも擦り傷が残ったが、それもひと月が経つときれいに消えた。
 ひと月の間、イワンはどこか恨めしいような気分で消えてゆく擦り傷を眺めていた。
 ほとんど責めるような気分にさえなったのは、キースに対してというよりイワン自身への怒りだったのかもしれない。
 別れを切り出した自分に怒りを覚えたのではない。相手が、自分を無条件で好きでいてくれると信じた、その愚かさにだ。
 最初は、自分を視界に捉えて笑ってくれるだけで舞い上がりそうだったのに。いつからか全部が当たり前になっていた。
 でも、それは幻想だ。終わってみれば、驚くほど脆かった。
 カシャン、と金属と磁器の触れ合う音がする。
 イワンは顔をゆっくりと音のしたほうに向けた。
「これ、まだ使ってるんですか」
 鍵を定位置に置くために伸ばされていたキースの手が、イワンの体の上に戻ってくる。
「あれから、割れていないからね」
 玄関の脇の造りつけの戸棚に、キースは小さな浅いボウルを置いていた。乳白色の地に藍色の幾何学模様が描かれたボーンチャイナ。イワンが贈ったものだ。
 キースは、鍵を行方不明にさせる名人だった。どこかのポケットに入れては見失い、何か別のことを思いつくと机にでもチェストにでも載せて移動してしまう。それで、いざ出掛けようとすると鍵がないと慌てるのだ。
 そこで思いついたのが、玄関の脇の戸棚の上を鍵の定位置にしてしまうことだった。
 はじめてこの部屋を訪れたイワンも、それにすぐ目を留めたくらいだ。あのときに置かれていたのは、白地に金の縁の小さなボウルだ。
 防犯上よろしくないとイワンが口を尖らせた。そんなことはないよ、とキースは眉を上げた。第一、部外者はここに入っては来られないし。玄関に来られた時点でアウトじゃないかとキースが反論して。
 はじめての訪問から季節が変わったある日、二人は今日のように慌しく玄関先で唇を奪い合った。
 後ろ手に鍵をいつもの場所に戻そうとしたキースの腕を、イワンは引いた。キースの袖が棚の上の皿を引っ掛け、それは玄関の床であっけなく割れた。
 ごめんなさい、と肩をすくませるイワンを抱き上げて、キースは「掃除は明日にしよう」とキスの合間に言った。
 次に来たときにイワンは、フリーマーケットで買ってきた皿を同じ場所にそっと載せた。
 贈られたばかりのボウルに音をさせて鍵を戻して。やけに嬉しそうな顔をするキースから、イワンは何ともバツの悪い心持ちで顔を背けたことを覚えている。
 舌が熱い。口の中が熱い。
 口を開けば、自分のものより温度の高い舌に口の中をかき混ぜられる。
 舌を伸ばしたら、自分より体温のあがった舌先がこすりあわせられる。
 息を吸い込んでも、二人の周りの空気まで温度を上げてしまったみたいで、ちっとも呼吸が楽にならない。
 熱くてたまらない。苦しくてどうしようもない。
 それなのに、やめたくない。もっとしたい。
 こんなふうだっただろうか。
 この人の唇は、舌は、歯列は、息遣いは。
 キスだったら何度もした。そのことは憶えている。
 でも、行為自体がこんなふうだったかになると、ひどく自信がなくなってしまう。
 唇が離れた。
 ぼんやりとした明かりの下で、二人の唇の間を唾液の糸がつなぐ。
 細い糸は、ゆっくりとたわんで、弾けて消えた。
 キースは自分の唇を舌先で舐め取ると、イワンの唇の端を親指でぬぐった。
 離れていく指を、唇が追いかけそうになる。
 もっとしたい。まだ触れていたい。
「この奥にも部屋があるって、憶えてる?」
 イワンは記憶を手繰るようにしばらく間をおいてから、顎の先をそっと沈めた。



 白い背中のカーブを見下ろしている。
 なだらかで、しかし張り詰めたイワンの背を。
 最初の頃の彼はいつもこちらに丸めた背中を向けていた。
 そのほうが負担が少ないだろうと思ってとらせたうつ伏せの姿は、予想よりずっと扇情的に映った。
 頭より腰を高く掲げた、受け入れる以外に用途のないであろう姿勢。
 ただし当人は慣れない行為への、そして相手の動作が視界に入らないことからくる緊張に身を硬くしていた。
 だったら、と仰向けにさせれば、今度はどこもかしこもさらけ出さなくてはならないことに混乱を覚えて。
 詰めていた息を吐き出させ、殺していた声を聞かせてくれるようになって。
 様々な貌を見せてくれるようになって。自分から欲しがることを知って。
 今日の彼はそんなことを忘れてしまったかのように頑なだった。
 前に回した手を揺らせば払いのけられることはないが、荒い呼吸に紛れて嫌だとか駄目だとイワンは繰り返す。
 耳朶に唇を当てる。それだけで、すでに力の入った肩が震えた。
 駄目? とささやき声で訊く。彼の言葉を繰り返して。
「なにがだい?」
「…っ、手…汚れちゃ……」
 確かに、彼の反り返ったものが握りこんだキースの手を濡らしている。
「構わないよ、汚して」
「……っ」
 すでに下を向いているのに、イワンは腹を覗き込むようにさらに顎を引いた。
 最初の頃もこんなふうだった。
 見られなければ、乱れなくて済むとでもいうように顔を伏せて。
 でも、そうではないことを彼自身、とっくに知っているだろうに。
 キースも最初の頃のように、宥めすかして事を進めるつもりはなかった。
 優しく肩を撫でて、首筋にそっと唇を押し当てるような気分ではない。
 無防備になったうなじに落ちる髪を鼻先でかきわけた。
 その下の皮膚に唇で触れる。吸い上げる。甘く噛む。
 それから、もっと深く歯をたてる。抓んだ肉に舌を滑らせる。
 下敷きになった体が震えて、くぐもった声が上がる。
 イワンの腰が跳ね、太腿が小刻みに震える。
 手の中のものが脈打っている。反応が過敏なほどだ。
「してないの?」
 自分でも? と付け加えようとしてやめる。
「忙しくて……帰って、すぐ寝ちゃうんで……」
 本当だろうか。
 彼のものに絡めた指に力をこめてやる。
 鋭い声が上がって、すぐに甘く掠れて尾を引いた。
 他の誰も、こんなふうに触れてはこなかったのだろうか。
 自分以外の誰も、彼のこんな姿を目にした人間はいないのか。
 そうであればいい。考えると、頭がグラグラとした。
 イワンがしゃくりあげるような声を出した。
「……しておけばよかった」
 昨日でも今朝でも抜いておけばよかった、と言いたいのか。
 それとも、この一年の間に、別の誰かと関係を持っておけばよかったという意味か。
 そうであってほしい。そうでないなら、その『誰か』とやらを探し出して消してしまいたい。
 『誰か』が彼に触れる。どうしてそれを許せるだなんて思えたのだろう。
 どうして、二度と彼に触れずに生きていこうなどと思ったのだろう。
 なぜ離れていくことを認めようとしたのだろう。
 自分自身への苛立ちをぶつけるように、前に回した手を激しく動かした。
 彼のこぼしたものでぬめり、濡れた音をさせる指を。
 いつからか、イワンは何かがふっ切れたのか、キースの手にあわせて揺れ始めた。
 声を上げ、名前を呼ぶ。
 こんな声で、他の名前が呼ばれていないといい。
 覆いかぶさるように抱きすくめれば、彼の背中と自分の胸が密着する。
 どちらのものかわからない汗を感じる。
 下になった体がガクガクと弾み、手の中に熱を吐き出した。
 まだ呼吸の整わないイワンの体を力任せにひっくり返す。
 冷静になった彼に拒まれないうちに先を急ぎたかった。
 だが、イワンは肩を上下させながら腕を伸ばして、キースの首に巻きつけてきた。
 キースが顔を覗き込もうとすると、その頬を十指で捕らえて、今度は唇を合わせてくる。
 驚きの声がイワンの口腔に吸い込まれる。
 唇を離すと、こつんと額を合わせてイワンが告げた。
「おかしくなりそう」
 最初の頃とは違う。イワンは自分から膝の裏に手をかけて脚を上げた。
「……こっちもだ」
 視線を絡めたまま、彼の奥に指を埋めていく。
 記憶の中より、きつく感じる。
 熱く、狭い。
 一度引き抜こうとした指を締めつけてきた。
「そんなに、噛みつかないで」
「だ、…って」
 離れては駄目だとでも言うように。
 まさか。そんなものは勝手な想像だ。
 これは、筋肉の不随意の動きでしかない。
 イワンは眉を寄せて、肩で浅い息をついている。
 苦しさを少しでも和らげてやりたくて、もう一方の手を彼の中心に伸ばす。
 さっき熱を吐き出したばかりのものが指に触れる。それは、頭をもたげて揺れていた。
「入れるまで、保つ?」
 バツが悪そうにイワンは首を折った。
「わかん、ない…です」
 自分で言ったことに小さく笑って、唇を舐めた。
「……確かめて」



 笑えばいい。
 笑顔を作って、昨夜はすみませんでした、と頭のひとつでも下げて。
 何かごたついた話になる前に、サッとこの部屋を出て行けばいい。
 そう思って眠りについたのに。
「おはよう」
 身じろいだ途端にごく間近で静かな声がして。
 そっと目元の髪を横に撫でていく指。イワンは身を硬くした。
 不意に触れられたことにではない。キースの指は、子供がはじめて昆虫にでも触れるような緊張をたたえていた。
 どう振舞っていいのか決めかねているのは二人とも同じらしい。
「……おはよう、ございます」
 イワンは諦めたように小声で挨拶を返す。
 二人ともベッドで横になったままだった。下着しか身につけていなくて、裸の肩がひんやりとする。
 イワンが鼻を鳴らして肩をすくめると、それに気がついたキースがシーツを引き上げてくれた。
 すみません、ともありがとうとも言わず、イワンは瞼を半分落として黙っていた。
 見張られているわけでもないのだろうが、キースは片肘をついた姿勢のまま動こうとしない。
 何時だろう。窓から差し込んでくる光の加減から、そろそろ出勤時刻が近いと思われるが、視界に時計が入ってこない。
 この寝室にはどこに時計が置いてあっただろう。
 隣に寝そべっている人は自分を見ているのだろうか。それともまどろんでいるのだろうか。
 少しばかり口うるさくなった上司や同僚たちの手前、そうそう遅刻をするわけにはいかないはずだが、何だかそれもどうでもよくなりそうだった。
「約束は?」
 遠くから声がしたような気がした。そんなはずはない。
 顔を上げると、すぐそばのキースと目が合う。
「……電話」
 でんわ、とイワンが繰り返す。
「え、あ、僕のケータイですか」
 イワンはきょろきょろと首を巡らせた。
「上着のポケット…じゃ、なかったですっけ」
 ああ、とキースはつぶやくと、ベッドから抜け出て部屋を縦断する。
 お互いに脱ぎ落とした服を、そこらじゅうに散らかしたままだった。
 キースは自分のジーンズを跨ぎ、丸まったTシャツを取りのけると、その下からイワンの上着を拾い上げる。
 上着を腕にかけてベッドの前へ戻ってきた。ポケットから携帯電話を取り出す。証拠品でも取り扱うような動作だ。
 そういえば、とイワンは思い出す。
 考えてみてもいい、と言ったのではなかったか。
 タクシーの中でケータイに電話をかけてきた相手が誰か、教えるかどうかを明日考えてみると。
 手を伸ばして、携帯電話を受け取る。それを喉元に当てると、静かに尋ねた。
「見て、どうするんですか」
「教えてくれないの」
 どうあっても知りたければ、勝手に電話を覗けばいいのに。
 そうだ、とキースの口が動く。
「大丈夫かい? その、体は…」
 キースは電話に目をやったまま訊いた。
 何だか電話機に尋ねているみたいで、イワンは知らず口元が緩んでしまう。
 大丈夫です、と笑みを隠すように早口に言った。
「僕のことなら、大丈夫です」
 そう。とキースは息をつく。
「だったら、『私たち』は…どうなのかな」
「え?」
「私たちのことは、まだ大丈夫だろうか」
 イワンはごろりと寝返りを打った。キースに背中を向ける。アッパーシーツがずり落ちて肩が剥き出しになった。
「……まだ、って何ですか」
 まだ、自分たちの間に何かしらの繋がりがあるというのだろうか。
 昨夜のあれは、何かの弾みなどではないと。なるべくして、なったとでも言いたいのか。
 イワンは背中を向けたまま無造作に言った。
「ケータイ、見ていいです。ロックかけてないんで」
 ぐっと電話機を持った手を伸ばした。
 操作方法を教えてやる。そうすれば、着信相手の一覧が表示される。
 背中を向けたままイワンは待った。呆れるだろうか、怒るだろうか。笑い出すのだろうか。
 キースからの反応はない。手の中にまだ携帯電話は残されている。
「……どうして、きみを手放せるなんて思ったんだろう」
「できたじゃないですか」
 あっさりと。拍子抜けするみたいに。
 会わなくても、電話もメールもしなくても。何てことはなかった。もう一年が過ぎようとしている。
「無理だよ。気がついたんだ」
「気がついたって、それ」
 イワンは肩越しにキースを振り返る。
「ゆうべの、そんなによかったですか。…久しぶりにしてみたら」
「ああ、ものすごくね」
 キースは驚くぐらい真顔でそう述べた。
 きみは? 生真面目に尋ねられて、イワンは振り向いたまま顔を戻すことができない。
 視線が外せない。
 鼻の頭に皺を寄せると、イワンは口を開いた。
「……とっかえひっかえ、やっておくんだった。基準がわからない」
 ヤケになったように言葉を継ぐ。
「脳細胞が死滅するかと思った。昨日、ここで死ぬのかなって。気持ちよすぎて」
 携帯電話を放り出した。シーツの上で最新の精密機器が弾む。
「浮気しておくんだった」
 口に出してからしまったと思う。
 浮気なんて言葉が出る時点で、まだ縛られているのだ。この人に。
 そのことに気づいて頭を抱えたくなる。
 頭を抱えるかわりに、キースのほうへ向かってバタンと倒れた。
「一年も時間はあったのに」
「……嬉しいよ」
 嬉しいと言いながら、キースは困ったような顔をしていた。『浮気』という言葉が出てきた意味に、気づいた様子はない。
 この情けない顔はなんだろう。どうして、そうやって突っ立っているんだろう。
 気の利いた台詞は無理でも、力任せに抱きしめて好きだとかなんとか騒ぐなら今なのに。
 おかしな人だ。なのにイワンはすぐにでも、この人が着ている服を全部引っぺがして、ベッドに引きずり込みたくなってくる。
 それを言ってやろうかどうしようか、迷ったまま見つめ合っていると顔の横で何かが振動した。
 いま放り出したばかりの携帯電話だった。
 片手でつまみあげる。着信は昨日の真夜中と同じ人物だった。
 イワンの一瞬の躊躇を見逃さず、キースが手の中から携帯電話を取り上げる。
「ちょ…っ、なにしてるんですか!」
「昨日の人?」
「そ、そうですけど…駄目です、返して」
「私はもう逃げないよ」
「ちが…やめてください! 違うんです!」
 通話ボタンを押して電話機を耳に当てるキースに、イワンは「あーあ」とつぶやいた。
「もしもし……え? あ、あの…ああ、そうだよ、グッドマ…スカイハイと言ったほうがいいのかな」
 イワンはぷはっ、と息を吐いて枕に突っ伏した。後ろ手に探し当てた毛布を頭からかぶる。
「ええと、あの…イワ、折紙くんは席を外していて……え、うん、自宅だよ。ここは私の家で……」
 声しか聞こえなくても、キースがどんどん萎れていくのがわかる。
 もう一度、イワンは「あーあ」とこぼした。語尾が笑いで震える。
 部屋が静かになって。しばらくして、キースの声がした。
「なんとかっていうイベントのチケットのことだけど……『アンタの分なんか幾ら積まれても取ってやらない』と……いま、ブルーローズくんが――」
 毛布の下でイワンは笑い出した。笑うしかない。
 笑い止んだら。
 この埋め合わせを提案してみてもいいかもしれない。
 きっと、申し訳なさそうな顔でベッドの脇にしょんぼり立っている人に。



■ ■ ■ Make a lot of wonderful memories !! ■ ■ ■


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Posted on 2013/03/07 Thu. 22:36 [edit]

category: SS(空折)

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