09 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Posted on --/--/-- --. --:-- [edit]

category: スポンサー広告

TB: --    CM: --

--

空/折 「A Midfall Night's Dream」 

スパークにサークル参加した際、ハロウィンな差し入れを色々といただきました。

その中に仮装したキャラのイラストを描いて持ってきて下さった方がいらして、
そこからホワーンと妄想したら、こう(↓)なりました。

「Midsummer」はあるけど「Midfall」なんて単語はありません。
(日本語でも真夏はあれど、真秋がないように)
でも「落ちる」お話、なので。

受が人外、です。
吸血鬼イワンくんの本を夏コミに出したばかりじゃない! と自分を叱ってみたのですが、
気がついたら9600字です……。OH……。

明日から冬コミの原稿やります……。


 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


A Midfall Night's Dream


 ハロウィン。
 現在では民間行事として定着したこのお祭りの日だが、起源は古代ケルトにまで遡るといわれる。
 ケルト人にとって10月31日は一年の終わりの区切りの日だった。
 この夜は死者の霊が家族を訪れ、また時期を同じくして有害な精霊や魔女たちも徘徊すると信じられていた。
 それら夜の世界の生き物から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いたのがハロウィンのはじまりだとされている。


 そう、この日は闇の眷属と人とが混じりあう夜なのだ――。


 キースは目を開けた。
 胸の上が重い。
 寝惚けているのだろうか、としばらくそのままの姿勢でいたが、やはり胸にかかった重みは感じられる。
 自分の両腕は体の脇にあった。だったら、これは何だ。
 少し前までなら、愛犬がベッドで眠りたがるのを許していたが、ドッグトレーナーからのアドバイスに従って、ジョンは今ではケージの中で眠ってくれている。
 ジョンが自分でケージを開けてここまでやってきたのだろうか。まさか、と思いながらもキースは片方の手をそっと伸ばし、胸の上に持っていった。
「……うひゃ、っ!」
 上擦った声があがったのと、キースの手のひらがつるりとした感触を覚えたのは同時だった。
「え?!」
 ギョッとして、キースは跳ね起きた。胸の上の重みがぐらりと揺らぐが、構ってなどいられない。
 毛布をひっ剥がしながら上体を起こし、ベッドサイドの小さなテーブルに手を伸ばす。目指すは電灯のリモコンだ。
 キースの手がリモコンを探り当て、照明を点すのと時を同じくして、どさりという音がベッドのすぐ脇の床から響いた。
「う、わぁ!」
 少し遅れて聞こえた悲鳴は、さっきの上擦った声と同じ人物のものらしい。
 キースはシーツに手をついてベッドの下を覗き込む。そして、その目をいっぱいまで見開いた。
 ベッドのすぐ脇には見知らぬ人間が一人、ひっくり返っている。
「これは…一体……」
 キースは手の甲で乱暴に目をこする。それもそのはずで、床に倒れている人物は奇妙な出で立ちをしていた。
 全身黒ずくめ…と呼ぶべきなのかもしれないが、中々そうは指摘できそうにない。肌を覆っている面積が少ないからだ。
 ホットパンツにしてもやけに短いズボンと、ぴったりとしたシルエットのベスト、それに膝丈のブーツと肘までの手袋。露出度が高い。どれも黒でレザーのような素材に見える。
 まるでポルノサイトかストリップバーから抜け出してきたような衣装ではあるが、それを身にまとっているのは、まだ学生とおぼしき…それも男性だった。ほっそりとした体躯をしてはいるが、襟ぐりから覗く胸は真っ平らだし、お尻や太腿にも丸みがない。
 男性であることを、キースはまじまじと見て確認した。というのも、彼は大きな瞳に筋の通った鼻、薄いが形のいい唇という、人形のようなひどく整った顔をしていたからだ。そして、その容貌を隠すようなプラチナ色の長い前髪と無造作な髪型。
 そんな格好をした不審人物が背中を床につけ、両足を天に向かって伸ばすようなポーズでじたばたともがいている。色の白い内腿が宙を掻き、少しばかりドキリとさせられた。
「……きみは、どこから来たんだい?」
 まさか窓から? ここはビルの最上階だ。
 尋ねながら、キースはベッドの頭のほうにある窓を振り返った。レースのカーテンを透かせて、施錠してあるのが見える。といっても、この彼が入室したのちに鍵をかけた可能性もあった。
 うぅぅ、と唸りながら床の上の闖入者は、腕を突っ張ると体育でいうところの後転をしてみせた。そのとき、キースの目に映ったものが、またもキースに目をごしごしとこすらせる。
 短すぎるホットパンツの裾から紐のようなものが波打っていた。30センチくらいのロープの先に三角錐みたいなものがついている。
 それは、引っ張られて揺れているのではない、不思議な動きをした。まるで蛇か、猫化の動物の尻尾のように動いたのだ。
 それに、彼のやけに刳れたベストの背中からは蝙蝠のような羽が二枚突き出し、これも本物じみた動きをしながらキースの視界を過ぎていった。
「ああ、そうか」
 キースは一人ごちた。
 今夜はハロウィンだ。
 さっき終えたばかりの夜間のパトロールでも、仮装した人々が楽しげに街を練り歩いていた。
 この彼も、きっとパーティーで羽目を外した若者の一人なのだろう。
 ベッドの脇で開脚後転を披露した若者はよろよろと起き上がった。キースは彼を酒に酔っているのだろうと判断したが、立ち上がった様子は足をフラつかせたりはしていない。
「きみ、部屋を間違えてしまったんじゃないかな?」
 キースがそう声をかけると、若者はギョッとした顔をした。
 この部屋の真下には大学生だったか高校生の兄弟とその両親が住んでいる。きっと、彼はそこへ行こうとして部屋を間違えたのだろうとキースは考えた。
「お…起きてる……」
「うん? ええと、きみは友達を驚かそうとした…わけでは……」
 なおも話しかけるキースの言葉が聞こえないかのように、彼は自分の顔や体をぺたぺたと手のひらで撫でさすっている。
 やはり酔っ払いか、とキースは嘆息した。
 酔っ払いを侮ってはいけない。彼らは、普段なら持ち合わせているはずの判断力を失い、かわって手に入れた子どものような好奇心と欲望に突き動かされるまま、そして常人では出せない怪力や柔軟性をもってとんでもない行動を起こすのだ。
 パーティーで『どこか遠くに行きたい』と大騒ぎしていた男が、そのすぐあとに旅客機の車輪格納庫に入り込んでしまったのは確か半年前だった。先月も、酔いにまかせた若者達が電波塔によじ登りはじめ、最後は警官に説得されたりして次々保護されたものの、一人は百メートル付近まで到達したのだった。
 焦ったように、自分の体があることを確かめ続ける若者を、キースは眺めていた。
 随分とぴったりした服だ。武器を持っているようには見えない。といっても、見知らぬ人の前でいつまでも横になっているわけにもいかなかった。キースは体を起こす。
「あの……」
 手の動きを止めると、彼は眉根を寄せた困り顔を上げる。
「も、もう一回寝てもらうわけには、いきませんか?」
「……私だって眠るつもりだよ。きみが帰ってくれたら」
「ええと、そうじゃなくて」
「警察を呼んだりはしないから。さあ、玄関から帰ってくれるかな?」
「ちが、違うんです! 僕は、あの…いわゆる悪魔の一種で」
「ああ、それらしい衣装だね。ちょっと寒そうだけど」
「《夢魔》って、わかります?」
「なるほど、だからセクシーな衣装を着ているんだね」
――《夢魔》、もしくは《淫魔》。夢の中にその人の理想の相手の姿をして現れ、精気を吸い取る悪魔だ。
「でも、きみは男性に見えるけれど……ここに住んでいるのは残念ながら男性の私一人でね」
 確か、男性の夢には女性型の悪魔が、女性の夢には男性型の悪魔が現れるはずだ。
 キースのつぶやきに、自称《夢魔》は顔を顰めた。
「あの…どうして、平気なんですか? ドキドキ、しません?」
「知らない人がベッドの上にいたんだ。心臓が縮んだよ」
 そう言い返したものの、困りきったような慌てふためいているような若者の様子を見ているうちに、キースのほうは逆に落ち着きを取り戻していた。職業上の慣れかもしれない。
「そういう意味のドキドキじゃなくて、僕は…あなたの好みのタイプってわけじゃ…?」
「ええ?!」
 キースは思わず驚きの声をあげた。
 ひょっとして彼は、性的なサービスをする仕事にでも就いているのだろうか。そして、依頼を受けてこっそりと誰かの家に這入りこもうとしたのではないか。
「……何番地の何という家に行くつもりだったんだい? ああ、いや、人の名前を聞くのはよくないかな。番地や建物の名前くらいなら教えてもらえるかい? きみは家を間違ったようだよ」
「ま、間違ってません」
「それじゃあ誰かが私の家に行くように仕向けたということ? そんな、まさか」
 そんな冗談を仕掛けるような友人はいないはずだ。キースは首を捻る。
「だから、ちゃんと僕の話を聞いてください。僕は《夢魔》で、さっきあなたの夢の中にいたんです。なのに、あなたが目を覚ましちゃって、それで、どうしてだか僕まで一緒にこっちの世界に転がり落ちて……」
 彼が転がり落ちたのはベッドの上からだと思うが、キースは黙っていた。
「もう一回眠ってもらえたら、僕、一緒に夢の中に戻りますから。なので、ベッドに戻ってほしいんですけど」
 酔っているようには見えないが、彼には妄想癖でもあるのか。
「しかしね、知らない人を部屋に置いておいて、その前で寝られそうにないよ」
 それに、とキースは考える。
「精気を取られるというのは…仕事に響かないかな。昨日も厄介な仕事があってくたびれているし、明日から一週間ハードスケジュールでね」
「……困ったなぁ」
 と《夢魔》を名乗る青年は言った。
「途中で目が覚める人なんてほとんどいないし、目が覚めたとしても、僕らから発せられる空気が部屋に満ちているから、またフラフラッと寝ちゃうはずなのに。それに、夢から出てきたとしたって、こんなにしっかりとした体が伴ってるなんて、はじめてのことで……」
 その発言にキースは、彼がおかしな香だとか麻薬の類いでも燃やしたのだろうかと一瞬考えたが、部屋の空気がいつもと違う感じもしない。
 彼は口をへの字にして、本当に困っているようだ。その表情は何だか子どもじみていて可愛らしく見える。
「そうか。私は特異体質なのかもしれないね。お役に立てず申し訳ない」
「え、いいです、別に。僕のほうの体調が悪いのかも。……今日ってみんな遅くまで外で騒いでるみたいだし、僕は他の人を見つけますから。お邪魔しました」
 彼はそう言って、窓に手をかけようとする。
「そこから帰るのかい? 玄関からにしてくれないかな」
「はぁ、まぁ…いいですけど」
「それから、ちょっと待っていて」
 キースはクローゼットへ走ると、中からベンチコートを取り出した。背中にポセイドンラインのロゴが入った、創業何十周年かの際の記念品だ。
「外は寒いから、それを着ていくといい」
「いや、あの……僕ら、物理的な刺激とか、あんまり関係ないんで」
 そう言って首を横に振ったが、キースが衣類を差し出したままなのを見て、渋々それを受け取る。
「さあ、着て。外は寒いよ」
 キースに言われて、彼はそれを羽織ろうとしたが前面のジッパーを外しておらず、袖を通すことができなかった。
「ジッパーを開けないと。そこの抓みを指で持って、下に引くんだ。そうそう」
「ふぅん」
「ふぅん、って…きみのその服にだってついているだろう?」
「ジ、ッパー? いいえ」
「いまどきは何て呼ぶのかな。チャック? ファスナー?」
 呼び方はどうあれ、そんなに体にぴったりした服なら必ずついているだろうとキースは思った。しかし、そう思いながら彼の衣装を見回しても、たとえばベストには前にも後ろにも止め具らしきものが見当たらない。まるで子どもの書いた絵だ。着脱不可能な衣類になってしまう。
「そのベストは…どうやって着たんだい?」
「この姿をとったときには着てました。あなたの好みの衣装なんじゃないんですか?」
 あなたのほうがよくご存知でしょう、とでも言いたげな顔で彼は言った。
「その…伸びる素材で、頭から被ったのかな?」
「だから、知りませんってば」
 彼はくすぐったそうな表情を見せた。自分で言ったことを確かめるように、片腕ずつを天井へと上げると脇の下を覗いてみたりする。目に入ったのは、綺麗に手入れされたようなつるりとした脇の下だけで、両方の脇にもジッパーやボタンは見当たらない。
「脱げないってことは…あなたは、服を脱がさないでするほうが興奮するとか?」
「いや! そんなことは……ええと、だね」
 サラリととんでもないことを言われて、キースは目の前にある細い肩をつかんだ。そして、そのままクルリと一回転させる。
 背中を向けさせると、彼の背中にはさっきも目にした蝙蝠のような羽があった。それが、ぱたぱたとはためく。ホットパンツの裾からはみ出している尻尾のようなものもピクピクと波打った。電気仕掛けなのだろうか。彼が両手で掲げたベンチコートがマントのようにひらりと翻った。
「本当だ…どうなって……おや?」
 一回り回れ右をした彼のベストには、正面にきちんとジッパーがついていた。キースは思わず、そこに手を伸ばす。
「見間違えだったのかな、ちゃんとこうやって……」
「えっ、ちょ…あの、そういうのは、夢の中でやってほしいんですけど!」
 銀色の金具にかけた手を下げようとすると、抗議の叫びが上がる。
「……ああ! すまない! つい、うっかりして!」
 どんな仕事に就いている人だろうと、許可も得ずに体に触れるなんて絶対にしてはいけない。それも、服を脱がそうとするなんて。
「や、あの…夢の中でだったら、全然いいんですけど……」
 ほんの数ミリ下がってしまったジッパーを元の位置まで戻しながら彼は言った。
「それにしても、この衣装は……さっきは、こんなジッパーはなかったような……」
 顎に手をやろうとするキースの前で、彼は慌ててベンチコートの袖に腕を通そうとする。まるで急に照れ臭くなったかのように、そそくさと。
 そのときだった。
 グゥ、という音が聞こえた。
 音のした方向にキースは顔を向ける。
「あ、あのこれは…!」
 《夢魔》を名乗る青年がみぞおちあたりを押さえていた。
「……お腹が空いているのかい?」
「そんなはずは…! そりゃあ、もう一週間くらい精気にありついてないですけど、だからって人間じゃあるまいし、お腹が鳴るなんて」
「一週間?! それは大変だ! 何かお腹に入れないと…!」
「ぼ、僕は人間の食べ物は要らないですから!!」
 叫ぶように懸命に声を張り上げた若者の体がグラリと傾いだ。
「え?! あ、あれ…?!」
「ほら、お腹が空いているのは本当なんだね!」
「そんな、はず…あ……」
 キースは腕を伸ばす。彼が片腕を突っ込んだだけの、ふわりと翻るベンチコートの前立てをつかむようにして手前に引き寄せた。
 腕の中にどさり、と《夢魔》を名乗った若者が倒れ込んでくる。両脚を踏ん張って、キースはどうにか彼を支えた。
「気の毒に……そんなに空腹だったんだね……」
「え、あ…あの……」
 ふにゃふにゃと声を漏らす青年は、キースの腕の中で次第にその瞳を潤ませ、閉ざしていった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「辛いだろうけど起きるんだ。何か口に入れたほうがいいからね」
「ふ、……」
 優しく、しかし力強く声をかけられ、《夢魔》は瞼を開けた。
 顎に指が添えられ、そっと上向かされる。
 ああ、こういうことなら知っている。キスをするんだ。
 まだぼぅっとした頭でそんなことを考える。
 最後には無我夢中で腰を振りたてるような人間も、行為の最初は慎み深く柔らかなキスから始めることが多い。
 だけど、その奥にはずっと人には言えずに来た欲求や欲望を隠しているのだ。
 さっきは目を覚まして冷静そうに見えていたあの人間も同じだ。《夢魔》はほくそ笑む。
 男がようやくその気になったのなら、自分は仕事をしなくてはならない。
 その鼻腔をふんわりと湯気がくすぐった。
 あたたかい甘い匂いと、ほんの少しの刺激のある香り。
 唇には、男の唇ではなくて硬い陶器が触れた。しかし、自分の唇よりあたたかなそれは心地よく感じられた。
「飲むといい。レモネードだよ」
 ささやくような声が耳をくすぐる。舌に甘みが触れて、本能的に少しだけ息を吸い込んだ。
 口の中にひろがる、とろりとした甘さ。あたたかさ。それに、少しの酸味が鼻に抜けていく。
 こくり、と一口嚥下して《夢魔》は目を開けた。
「お、美味しい……」
「それはよかった。代々我が家に伝わっているレシピでね」
 彼は微笑んで、マグカップを両手で包み込むようにして持たせてくれた。
「美味しい……そうか、これが『美味しい』って、こと……」
「え?」
 目を上げると、さっきの人間と視線がかち合う。確か、彼はキースとかいう名前だったか。
「すぐに用意できるような食材もここにはなくてね。少しでも体が温まればいいんだが」
 気がつくと、ベッドの縁に座らされていた。肩には毛布が、膝には着ようとしていたベンチコートが掛かっている。
「あの……」
「ああ、あれから五分くらいしか経っていないよ」
 即席のレモネードを作ってきたんだ、とキースは胸を張る。
「そ、そうですか……」
 おろおろと視線を下げて、またマグカップの縁に口をつける。鼻腔をくすぐる湯気。啜れば口の中を、喉をハチミツとレモンの味と香りが満たす。
 ゆっくりと、だが止めることなく《夢魔》はホットレモネードを飲み干した。
 まだ温もりの残るカップを両手で包んだまま、ほぅっと息をつく。すると、隣から忍び笑いが聞こえた。
「そうしていると、すごく小さな子どもみたいだね」
 なぜそんなに楽しそうに笑うのだろう。馬鹿にされているのだろうか。反発心が沸いてきて、膝の上のベンチコートをひっ掴んだ。
「これ、お返しします」
「だめだよ。外は寒い」
「寒くなんてないです」
「嘘だ。こんな薄着をしているから、冷えてしまっている」
 キースが毛布をめくって、手のひらで剥き出しの肩に触れた。
「……ぁ、っ」
 ぴくん、と体が震える。《夢魔》はその反応に自分自身で驚いた。
「悪魔の仮装もいいけど、きみは普通の人じゃないか。体だって、私と同じように骨や筋肉でできているし、体温だってある」
 キースの手が今度は毛布の上から肩をさする。
「よかった。気絶するみたいに眠ってしまったときより、体温が戻ってきているよ」
「……んっ」
「うん? 力が強すぎた?」
「い、いいえ」
 左右に首を振り、それから慌てて下を向く。
 おかしい。何なんだろう、これは。
 キースには反省したように見えているのかもしれないが、《夢魔》は混乱していた。
 人間の飲み物が美味しい。毛布があたたかい。それに、肩や背中をほんの少し撫でられただけなのに、この感覚は――。
 はぁっ、と小さく息を継ぐ。体の内側の熱を逃がそうとするかのように。
 そんな《夢魔》の様子に気づかず、キースはすぐ隣で微笑んでいる。
「こうなったら乗りかかった舟だからね、きみを家まで送っていこうか? 疲れているみたいだし」
「ええ…と、あの……」
「そうだ、きみの名前は何ていうんだい? 私はキースだ」
「僕、は……」
 口を開こうとして言い淀む。《夢魔》に名前なんてない。目の前にいる相手によって姿を変えるのだ。男でもあり、女でもある。どんな人種にもなれる。《夢魔》は鏡でしかない。人間たちの欲望を映す鏡だ。
 スラブ系の若者の姿をしているのは、今夜たまたまだ。キースという男は、この姿を見ても好みのタイプでもなければ過去の思い出に思い当たる節もなさそうだが、だとしたらこの姿はどこから来たのだろう。
 むにゃむにゃと口を動かしながら、《夢魔》は視線を動かした。チェストの上の小さな本に目を留める。
 名前なんてどうでも良かった。ない、と言えばいい。または、教えたくないと。
「僕は…イワン、です」
 そう告げる。ただ、黙ってじっと待っている目の前の男に根負けしただけだ。
「イワン? イワンくん、だね」
 キースは嬉しげに一段と笑みを深くした。
 気がついていないのだろうか。どうやら読みかけの、すぐそこに置かれた本の著者の名前を告げたのに。
 それとも、そんな狡さはとっくにお見通しだろうか。
「そう…イワン、くん…か……」
 名前を繰り返して呼びながら、キースがふっと鼻息を漏らす。ああ、嘘だとバレているのか、と《イワン》と名乗った存在は舌打ちをしかけた。
 しかし、それは疑りすぎだったらしい。
 キースの頭が斜めに下がった。それは当たり前のようにイワンの肩に載せられ、その場所で落ち着いた。
 肩に重みを感じる。首の付け根に触れている頬がやわらかい。首筋に押しつけられた額は、頬よりも少し硬いが体温が少しだけ高い。規則正しい寝息はくすぐったかった。
 それは、はじめての小さな発見だった。
 体の重み、そして体温。息遣い。人間にはそんなものがつきまとうのだ。
 ようやく《夢魔》から発せられる空気が部屋に充満したのだろうか。いや、ただ単にキースの体が睡眠を欲しただけかもしれない。昨日は仕事が大変だったと言っていた。
 キースの体をそっと横に倒す。彼は眠ったまま、抵抗することも目覚めることもなくイワンの手の動きに従った。
 肌寒さからくるのか、彼はわずかに背を丸め、胎児のように膝を曲げて腹に引き寄せた。その体の下になってしまった毛布を手繰ると、キースの上にそっと被せる。
 閉じた瞼、呼吸とともに揺れる肩や胸。それをベッドの縁に座って見下ろしていると、胸に湧いてくる何かがある。一体、これは何だろう。
「どうして…夢の中に入っていけないのかな……」
 イワンは小さくつぶやいた。無論、一足先に眠りの世界へと到達したキースからの返事はない。
 自分が特異体質なのかもしれない、とキースは言った。イワンも、自分の体調がどこかおかしいのかもしれないと応えた。事実は、わからない。
 イワンは膝の上のベンチコートを床に落とした。肩にかかっていた毛布で全身をくるむようにして、すやすやと眠るキースの隣に横になった。
 困り顔が、何かを諦めたような表情に変わり、それもまた変化していく。ゆるゆると長い睫毛に縁取られた瞼が降りてゆく。
「こういう寝る、んじゃなくて…もっと別のことをするはずだったのに」
 キースの体からまた一段階力が抜けたらしい。手のひらがシーツの上に、イワンの手のすぐ隣に落ちてきた。
 自分より大きな手に、イワンはそっと指を伸ばす。
 あたたかい手だった。ホットレモネードや毛布とは違う、別のあたたかさだ。
 イワンの這わせた指を無意識にだろうか、キースの指がきゅっと握りこむ。
 その手をもっと手前に引いて、イワンは自分の毛布の下の腿まで導くと、手の位置を入れ替え、その場所にキースの手を触れさせた。
 そうすると、ぞわりとした不思議な感覚がイワンの背筋をのぼってくる。さっき、肩を撫でられたときに感じたのに似た感覚だった。
 本当なら夢の中で、彼はここを撫で、掴み、荒々しく押し開きさえするはずだったのに。
 自分の内側から、甘い波のような得体の知れない熱っぽいものが皮膚の下でざわめく。
 イワンは小さく息を吸い、唾を飲み込んだ。
 まさかこれが、人間たちがみんな持っている欲望とかいうものなのか。
 痴態を晒す男女は幾らでも見てはきたが、彼らがこんなものに突き動かされているなんて信じ難い。
 キースの手のひらに押しつけた皮膚が、ほんの少し、けれど確実に熱を帯びて汗ばんでくるのがわかる。
 こんな体は仮初めのもののはずだった。容姿だって思うまま、人間の希望通りに変えられるはずだ。なのに。
 熱い息を押し殺す。鎮まれと自分を叱りつけても、どうにもならない。
「…ぁ……」
 キースの手を押しやり、今度は自分の指先で同じ場所を辿る。
 引き上げた指が、短すぎるホットパンツの裾にかかり、すぐ上についているジッパーのラインを辿る。
 この部屋に現れたときには、服に存在しなかった留め具。
 その小さな抓みをイワンの指がたどたどしく押し下げてゆく。
 中に押し込まれていた熱が弾み、もたもたと動く指に触れた。その感触がイワンに息を詰めさせる。
 これではまるで、人間そのものだ。
「どうし…て……」
 抗えない熱さがホットパンツの中だけでなく、そこを中心に全身にひろがっていく。
「んん……」
 キースが判読不能の寝言を漏らした。その声さえ、声を出したことで伝わる震えさえ、イワンをもどかしくさせる。
 固く目を閉じて、目の前の眠る男に体を押しつけた。
 熱い。ぞくぞくする。こんなのはおかしい。どうにかしてほしい。
「キー…ス、さ……」
 その夜、はじめてその名前を呼んだ。甘く、掠れる声で。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 イワン、と咄嗟に名乗った存在は知らなかった。
 古今東西の誰しもが、異世界の食物を口にしてはならないことを。
 ギリシア神話では、ペルセポネーは冥府の果実を口にしたために、一年のうち、その実の数だけの月を冥府の王妃として過ごさなくてはならなくなったと伝えられる。
 日本の神話にも、イザナミノミコトが黄泉の国の食べ物を口にしてしまったために、夫がやっと迎えに来たときには現世に戻れない体になってしまったという逸話が残っている。
 もつれあう二人の隣で、チェストに置かれた小さな本が、そしてその表紙に印刷されたその著者が二人を静かな目で見下ろしているようだった。
 背表紙にはその物語の短い名前が書かれていた。『初恋』と。


E N D



 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


イワン・ツルゲーネフの『初恋』を久っっしぶりに読んだら傑作でたまげました。
(たまげる、って「魂消る」って書くんですね。すごいなぁ、魂が消える……)



スポンサーサイト

Posted on 2013/11/02 Sat. 20:00 [edit]

category: SS(空折)

TB: --    CM: --

02

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。